It is not fashionable
瀬戸内国際芸術祭2019の夏会期を少しまわっています
アートをみてまわるのがお洒落だ
と思ってる人が多いように感じますが
それは全くの逆だと思います
アートって毒をもって毒を制するようなものなんじゃないでしょうか
自家中毒をおこしちゃって調子がおかしくなっちゃったような人も
たくさんみかけますが
一方でまったくそうじゃない善意の第三者も
(それもある意味自家中毒かもしれないけど)
たくさんみかけて
どうにかすると
ややこしいことになっちゃうんじゃないかと
気が気じゃありません
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コメント
瀬戸芸は最初の回に男木島をクルクル回ったくらいで、後は行っていません。あの赤い小っちゃな船に人が鈴なりになっているのを見て腰が引けてしまいます。アートに造詣が深くない一般人にとって、現代アートとの付き合い方は難しいです。「何だこれ、ヘンなの」と思ってもそれを口にするのは憚られるし、分かったような顔でウンウンと頷くのも恥ずかしいし。私は写真を撮りますが、アートも写真も出会いだと思います。ビビっと感じるものがあったときに「いいなあ」と思えばいいだけで、構えなくてもいいなと思うのですが、芸術祭というタイトルで「芸術」を前面に出されると、慣れてない人々は妙なテンションになってしまうのかもしれませんね。
投稿: maopapa | 2019/08/19 20:59
maopapaさん ご無沙汰しています
コメントありがとうございます
確かに大上段に構えて
「ゲージツだ!ひかえおろう!」
なんてふりかざされたら
「およよっ」と避けちゃいますよねw
でも、そういうパフォーマンスが意味を生じさせる
場合もあってなかなかややこしいです
現代アートの鑑賞もすっかり
浸透したように思えますが
作品を見たあと結論を
急ぎすぎている方が
多いような気がしないでもありません
作品に接したあと
折に触れ作品のことが思いだされて
あの作品はなぜああだったんだろうって
考えさせられてしまうのが
いい作品の条件のひとつだと思うのですが
(自分の摩擦力が足りないことは棚に上げて)
一方でそういう引っかかりが少ない作品も多い気もします(笑)
僕自身については、まだしばらく現代アートとの関わりが続きそうなのですが
この先ブーム?はどうなっていくんだろうと考えてしまいます
投稿: bonyaly | 2019/08/20 15:04
各メディアのアートの取り上げ方も微妙というか、だいたい若い人に興味を持ってもらおうと、
お洒落な媒体が芸術祭なんかを扱うと、お洒落な紙面やお洒落なwebページができますよね。
最近は官公庁のパンフレットでもどこぞのデザイン会社とカメラマンが撮ってお洒落になってしまいます。
そして僕はそういうモノづくりに加担する側の人間ですが。
空間自体を作品にしたようなものも、見ようによってはお洒落になってしまうので、
その辺、上っ面をさらっと撫でるような見方ができてしまうから難しいように思う時もあります。
コメント欄でおっしゃっておられる、何か引っ掛かりがある、っていうことが、
僕も大事なように感じます。
どうせ理解しようと思ったところですぐにできるものでもないので。
アートって学問的ですよね。
道具がメインになってしまいがちな写真ってジャンルでも、いっときカメラ自体が、
ファッションの一部のようになってましたが、さすがに最近はMFカメラや二眼レフなど、
クラシックカメラの部類を持ってる人がいなくなりましたね。
少しホッとしてます。(笑)
投稿: iidacamera | 2019/08/31 14:57
iidacameraさん コメントありがとうございます
「オシャレ」に「映える」ようにっていう依頼に応じて
やらなければならない仕事はともかく
「作品」としてというか「作品」でないにせよ
人に見てもらうものについては
ハッキリと言語化できなくても
そこにその人の言葉性というかメッセージ性というか
あるいはメロディであったりリズムであったり、
ハーモニーといったようなものがなければ
あるいは意識されていなければいけないと思うのですよね。
例えば写真であれば
それが1枚で成立するものであったり
あるいは複数の組み合わせであったり
展示空間によって、
あるいは時局というのか
時代性や地域性の中で成立したり
といった違いはあるかもしれませんが
そういうのが「引っかかり」になるんだと思います。
最近「映える」写真は巷に溢れていますが
流行りの曲をうろおぼえのまま
サビのフレーズだけ無自覚に借りてきて
雑に片手で弾いたような感じのものが多くて
言語明瞭意味不明なノイズのようで
煩わしいとさえ感じることもあります
あ〜ダメだダメだ、僕もダメダメですね(^_^;)
投稿: bonyaly | 2019/09/01 16:00